ここ数か月の記録 精神:やや不安定 

リアルの話ですが。

ここのところ数日は、特に落ち込み気味です。
堕ちきるとこまで堕ちきれとは言いますが底はどこですか。
底も空も見えません。先生。


症状としては
・勝手に涙が出てくる
・胸を締め上げられているような違和感と息苦しさ
・攻撃性の表面化
・ダウナー
・孤独感


唐突に涙が出てくるのだけはどうにか止めたいものですが、意識的に泣いているわけではないので抑え方がわからない。
(その後、深呼吸をしろという記事を発見する)


胸の違和感、息苦しさはフッと軽くなる瞬間はあるのですが、まあ大体ずっと重怠い感覚が消えない。
何でしょうね。心配事があるとか、歯医者行く前の日、みたいなそういうワクワクの逆みたいな重怠さです。
鈍い痛みも感じる。痛い。


攻撃性の表面化。コレが最も厄介なものだ。
私としては周囲への攻撃性を何とか抑えることはしているのだけれども、その分自分に攻撃しているだけなので、解決にはなっていない。
泣かされている原因、自分自身による脳内での口撃であるとも推察できる。
 いかに自分がダメなのか。
 いかに周囲と異なるのか。
 推しへの愛も、1人に執着するその姿勢が気持ち悪い。
 きっと周りは口に出さないだけで、ずっと迷惑している。
 周りは楽しいフリをしているだけだ。
 そんな気遣いを真に受けて喜んでいるお前ほどの愚者はいない。
 お前という存在は害しかないのだ。
とまあ、そんな感じの。ずっと。定期的に。


元々の性格が後ろ向きで、暗いほうではある。
何事も「うまく行く」よりも「うまく行かない」と考える程度には。
なのでダウナーの要素はあるのではないか、とは思うがソレも顕著に表れる。
脳から、口から、出てくるのは恐らくそういう系列の言葉ばかり。
薬にもならない毒だ。
でも出さないと体に毒が溜まるので、具合が悪くなってくる。


孤独感。
コレは不思議なもので、私は家族と暮らしているので、別に物理的に孤独なわけではない。
だのに、周りが楽しそうにしているのを見ていると、段々と自分が情けなくなってきて、寂しさというか孤独感を感じるのだ。

寂しいのであれば声をかければいいだろう、とは通常の人なら思うのだろうが、そんなことは迷惑千万何様のつもりである。
大体、現代人は忙しい。
仕事も忙しいし、仕事していない時は自分の時間というものがある。
そんな時に、声をかけられるというのは=邪魔をされているようなものだろう。


まあこんな症状が、定期的にフッと軽くなる時もあるのだが、数か月単位で続いている。
解決方法が見つからないのだから、解決するわけもない。


定期的に毒を吐かないとかなりキツイ。
結果、Twitterでも結構な頻度で後ろ向き発言を垂れ流していたわけで。
まあ、見てて気持ちのいいものではないだろう(ブログだって同じなのだが)
正直、私をフォローしている人はさっさと私を切って切り捨てて私を見ないでほしいとも思うしそう書きそうになった。
(すでにミュートにしていてくれるとは思うが)
外部との交流を持つのであれば言ってはいけない言葉というものがある。
それが垂れ流しになりそうになるのが1つの目安ともいえる。
なので、一番触るiPhoneからTwitterアプリを消した。
瞬間的に呟くという動作を制限したわけだ。
(他の端末やPCからTwitterを見ることはできる)
そしてアプリやLINEの通知を切った。
定期的に飛んでくるアプリの通知が気になって、ついつい端末に目を落とす。
そして謎の孤独感に襲われるからだ。
(LINEの通知を切ったら、本当に連絡が来ていたのにバッジが付かなくなったのには参ったが、まあ、もう連絡は来ないだろうからしばらく放っておく)


自分の周りに壁を張り、とりあえずこの症状が落ち着くまでは。
コレは周囲への配慮である。
見苦しい毒で迷惑をかけないためである。
ソレを自己中だとか、言われても困る。
自由に毒をまき散らし、さんざん迷惑をかけることが自己中ではないのか?
そも私は1人だ。
誰も私を見てはいないし、気にも留めていないし、何を言ったってそれは流れていくだけで実際のところ何の影響もない。
影響があると思っている時点でおこがましいのだ。
誰も見ていない。
誰も気にしない。
私はいない。
ああ、邪魔なゴミ程度には思っているかもしれない。


ここまで書くと、まるでプチ鬱にでもかかっているかのような感じになるが、何という事はない。
現代人はみな心を病んでいるもので、この程度は日常茶飯事。
つまり、ここまでは普通なのだ。ステータス:普通、といったところか。
普通のことで何を大げさな、といえばそれまで。


大体、私は精神構造がおおざっぱなので、難しい事を考えることが苦手だ。
学がない。頭が悪い。
普段から悪い方に考えて備えるところもあるし、それは仕様である。
そんなイキモノが鬱になりようがない。
それに大変不幸なことに、私は極度の怖がりで、痛がりでもある。
そんなヤツは自殺すらできない。
自殺とは大体において苦痛を伴うし、死ぬまでの過程を考えると恐怖しかない。
私がそんな勇気ある行動を取れるような勇者ではないのがこの世界の不幸ともいえる。

生きている理由がないのと同じくらい死ぬ理由がないだけ
とも言う。
ただ何となく、生まれたから生きているだけ。
周りになんの益ももたらさない。


さて、今日の毒吐き終了。
多少は楽になった。

幸いにも私のブログは閲覧者がほぼいないので安心安心。
それに後で見返せば
後でラクになった時に見返せば
何がきっかけでラクになれたのかがわかるかもしれないので、記録として書き留めておく。

 

 

こんな毒より普通の日記や記録の方が多くなることを期待して、コラボカフェ行ってきます。